毎日を有意義に過ごせるかどうかは、私次第である

仕事を辞めて、会社通勤のない生活になってから3ヶ月が過ぎました。ニートという言葉を聞いてから数年が経ちますが、ようやく自分自身でニートという身分を味わっているように思います。多少の仕事はしているものの、生活費を稼げるほどには至っていません。せいぜいお菓子が買える程度のお金しか稼いでいないと思います。ニートになってから、私は仕事をしない生活がどんなに贅沢であるかを知りました。毎日の時間が、何の制約もないからです。勤務開始時間もなく、退勤時間もありません。勤務日もなければ、休日もありません。

不思議なことですが、勤務日がなくなれば、毎日が休日となりますが、毎日が休日になると、休日という言葉が無意味に感じられます。休日というと、仕事から解放され、仕事の責任から逃れられる貴重な日です。でも、仕事がなくなると、休日の勤務日に対する相対的な価値がなくなり、休日という言葉が何の意味もないように感じられます。でも、だからと言って、仕事のない日々が無価値に感じられるわけではありません。休日でもない、勤務日でもない、新しい価値が感じられます。それは、毎日が挑戦的で、創造的であることです。何の制約がなく、全てが自分の決断に委ねられています。だからこそ、毎日を有意義に過ごせるかどうかは、私自身にかかっているというわけです。その意味で、1日の価値に対する責任は私自身にかかっています。私の全ての行動が、私の決断で決まるからには、全ての責任は私にありからです。

仕事の責任はありませんが、毎日の価値に対して私の責任感はより倍増しました。私は、より意識的に、1日を有意義にしたいと思うようになったと思います。毎日の過ごし方について、誰かを責めたり、仕事のせいにしたりすることはできません。自己責任という言葉を、ひしひしと感じながら過ごさなければいけなくなりました。全てが自己責任の世界という言い方をすると、とても過酷な現実のように感じられるかもしれません。でも、全てが自分に委ねられている生活こそ、私が求めていた生活だと思います。誰からも束縛されることなく、誰からも指示されない生活が、私が夢見ていた生活だと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です