結婚したことで結婚に対する理解が変わった

結婚して、9ヶ月が経過しました。同居をしてからは既に1年が経過しています。彼に出会ったのは、1年と半年前です。2年間の間に、私の人生はあっという間に変わりました。全ては、彼との出会いから始まりました。結婚を全く考えていなかった私が、結婚をしたのです。男性と同居したこともない私が、突然同居を始めました。そして、プロポーズは彼からでもなく、私からでした。今から考えても、人生の大きな決断を簡単にしてしまったように思います。

子どもの頃に描いていた人生とは、全く違う人生を歩んでいると思います。結婚というものについて、結婚をする前後で考え方は大きく変わりました。結婚する前は、結婚することで経済的にも社会的にも私は守られる存在だと思っていました。彼が私を守ってくれると考えていたのです。その当時は、仕事の内容についても、自分で責任の持てないことを任されるようになり、やめたいとずっと思っていました。そのこともあってか、結婚すればフルタイムの仕事ではなくても、パートタイムの仕事で十分生活できると思っていました。でも、結婚をしてみて、その考えが子どもじみた考え方であることを悟りました。

結婚とは、誰かに依存できることを保証することではないということです。結婚とは、自分で自立しなくてもいい正当な理由を与えるものではないということです。結婚という言葉を隠れ蓑にして、社会から隠れることができるわけではないということです。私は、これらのことを結婚してからの生活から学ぶことができました。

そして、私が新たに学んだことはいろいろあります。結婚とは、依存し合うことではなく、お互いを強くすることであるということです。結婚とは、お互いを隠すものではなく、お互いをお互いに価値ある存在だと社会に知らしめるものであるということです。結婚とは、お互いに自立した人間であることをさらに求めるものだということです。実際の結婚生活をしなければ、これらのことを理解することはできなかったと思います。彼に頼ることができると考えていた自分の考えは、全く現実的ではありませんでした。結婚したことで、私はより自立した人間、より成熟した人間である必要を感じています。

毎日を有意義に過ごせるかどうかは、私次第である

仕事を辞めて、会社通勤のない生活になってから3ヶ月が過ぎました。ニートという言葉を聞いてから数年が経ちますが、ようやく自分自身でニートという身分を味わっているように思います。多少の仕事はしているものの、生活費を稼げるほどには至っていません。せいぜいお菓子が買える程度のお金しか稼いでいないと思います。ニートになってから、私は仕事をしない生活がどんなに贅沢であるかを知りました。毎日の時間が、何の制約もないからです。勤務開始時間もなく、退勤時間もありません。勤務日もなければ、休日もありません。

不思議なことですが、勤務日がなくなれば、毎日が休日となりますが、毎日が休日になると、休日という言葉が無意味に感じられます。休日というと、仕事から解放され、仕事の責任から逃れられる貴重な日です。でも、仕事がなくなると、休日の勤務日に対する相対的な価値がなくなり、休日という言葉が何の意味もないように感じられます。でも、だからと言って、仕事のない日々が無価値に感じられるわけではありません。休日でもない、勤務日でもない、新しい価値が感じられます。それは、毎日が挑戦的で、創造的であることです。何の制約がなく、全てが自分の決断に委ねられています。だからこそ、毎日を有意義に過ごせるかどうかは、私自身にかかっているというわけです。その意味で、1日の価値に対する責任は私自身にかかっています。私の全ての行動が、私の決断で決まるからには、全ての責任は私にありからです。

仕事の責任はありませんが、毎日の価値に対して私の責任感はより倍増しました。私は、より意識的に、1日を有意義にしたいと思うようになったと思います。毎日の過ごし方について、誰かを責めたり、仕事のせいにしたりすることはできません。自己責任という言葉を、ひしひしと感じながら過ごさなければいけなくなりました。全てが自己責任の世界という言い方をすると、とても過酷な現実のように感じられるかもしれません。でも、全てが自分に委ねられている生活こそ、私が求めていた生活だと思います。誰からも束縛されることなく、誰からも指示されない生活が、私が夢見ていた生活だと思います。